保育園時代の話

今回は私が保育園児の頃の話をしたいと思います!
私は今まで2つの保育園でお世話になったことがあります。
3歳になるまでは無認可の保育園(A保育園)、3歳〜6歳は認可保育園(K保育園)でお世話になっていました。
最初に通っていたA保育園での記憶は覚えてないのですがw、母から聞いた話を書きたいと思います!w

目次


1⃣ 【無認可保育園(A保育園)の頃】
2⃣ 【認可保育園に入る前の手続き】
3⃣ 【認可保育園(K保育園)に入園!】
4⃣ 【バナナ組からメロン組→ブドウ組へ】
5⃣ 【当時のリハビリ】

無認可保育園(A保育園)の頃

↑当時の写真(昔の写真なので画質が悪いです(~_~;)

その頃は今住んでいる家ではなくアパート(コーポ)に住んでいました。
3歳になるまではよく熱を出していたそうで、まずA保育園に到着すると体温計を持った保育士さんが待たれていたそうです。
(入退院を繰り返していたので余計に警戒されていたのだと思います。)
熱を測って37度以上だと「家に帰ってください」と言われていたそうです(⌒-⌒; )
熱がなく預かってもらえる日は保育園でずっと園長先生に抱っこされていたそうですw(とても可愛がってもらえていたそうですwありがたやw)

ちなみに兄と一緒に同じ保育園に通っていたのですが、兄は当時ヤンチャでイタズラチームのリーダーだったそうですww
よく母は保育園から呼び出しをされていたそうですw

保育園になれてきた頃、母がある違和感に気がつきます。
私や兄を迎えに行った時、母が私に帰ろうと手を伸ばした時に私は身を守るように手で顔を隠したそうです。
母はこの時「保育園でイジメられてるな」と気がついたそうです。
(私は当時の記憶が全くないですw)
そこで母は兄に「妹をイジメから守って欲しい」と頼みました。
兄は「わかった」といい、次の日から私の前に立ってガードするように見張ってくれていたそうです。
またイタズラチームのメンバーも交代しながら守ってくれていたそうです。
すると私をイジメていた子達はイタズラチームに何かされるのが怖くてそれからはイジメがなくなったそうです。(兄と兄の友達に感謝です(*´ー`*)

その後今住んでいる家に引っ越すことになりA保育園を辞めることになります。

認可保育園に入る前の手続き

引っ越しが終わって、さあ保育園を探そう!と思っているとそう簡単に入園できないことがわかりました。
まず、拠点園として認定されている保育園を探さないと行けませんでした。
また、待機児童問題があったので余計に選択の幅が狭くなっていました。
候補の保育園を探した後、福祉事務所に「この保育園に入りたいのですが」と相談に行きました。
相談すると福祉事務所などの福祉関係のところを4箇所面接に行かないと行けませんでした。
私も母も昔過ぎて覚えてないですが、面接では病気のことなど色々質問されたそうです。
(当時SMAが発覚していなかったので色んな病名の疑いという形で記録されていたみたいです)

そしてその後無事にK保育園で受け入れてもらえることになり通園することになります。

認可保育園(K保育園)に入園!

K保育園にはみかんの部屋という特別支援学級がありました。
みかんの部屋でもお世話になりながら健康な子がいるバナナ組でもお世話になっていました。
(学年分けを果物でしている保育園でした。イチゴ→モモ→バナナ→メロン→ブドウの順番で上がっていきます。)

その頃の記憶もほとんどないですが1つだけ覚えているのはトランポリン事件ですw
私は小さい頃トランポリンが好きでした。
もちろん一人では跳ねたりできないので一緒に乗ってもらっている人に跳ねてもらってもらいトランポリンを楽しんでいました。
トランポリン事件の日も同じように一緒に乗って遊んでもらう予定でした、、、。

その日はいつもよくしてくれる先生と2人でにトランポリンに乗りました。
トランポリンは四角い形で子供が数人乗れる大型の折り畳み式トランポリンでした。
私はトランポリンの上で座っており、先生は少し離れたところで飛び跳ねました。
そのとき、、、体が少し浮いた拍子にバランスが崩れてしまい倒れそうになりました。
、、、倒れそうになった場所の先にはトランポリンの金具が飛び出た部分がありました。

「あ。これやばいかも。」

ザクッ、、、。

その後の記憶がないですが、母の話によると一緒に乗っていた先生から泣きながら電話が掛かってきたそうです。
母が急いで迎えに行くと先生は泣きながら動揺していて、私は泣きながら頭から血が垂れ流しで服にも血がついていたそうです(;´∀`)
その後病院へ行き、大きいホッチキスみたいなもので切ったところを止めたそうです。
(トランポリン事件[完])
祖父母によると子供はよく怪我するし、頭から血は出やすいものだから大丈夫!とのことww
その言葉で母は安心?wしたそうですw

ちなみにこの先生と今でもたまに連絡をとっています!

バナナ組からメロン組→ブドウ組へ

色々ありながらバナナ組からメロン組→ブドウ組に上がります。

この頃は牛乳を飲んだだけでお腹いっぱいになり給食を残していて、よく別室で怒られていたのを覚えています(;´∀`)
暗い部屋でドクロの仮面を被った先生に怒られてました。
当時はとても怖かったですw

そしてまたもや2つ事件が起きます(~_~;)
1つ目の事件は親子遠足で起きました。
何を思っていたのか、、、私は母に向かって「生まれなければよかった」と言いました。
なぜそんなことを言ったのか、、、全く覚えていないですが言葉の重さを考えず浅はかだったと思っています。
結果、母を泣かせてしまい最低なことをしたなと今でも後悔しています(´-ω-`)

2つ目の事件は救急車で搬送されたことです。
同級生と室内のホールで座って体操をしていると急に体がフワフワして意識を失ってしまいました。
保育園の先生に保育園内の休憩所に連れていかれずっと意識を失ってしまいました。
先生が母に「救急車を呼んだので早く迎えに来てください」と連絡したそうです。
母は驚いて泣きながら祖父に電話して保育園に向かったそうです。
母が到着されるよりも先に救急車が保育園に到着しました。
そして救命救急の方から母に「娘さんが息をしていません。意識もありません。今まで患ったことがある病気を教えてください」と連絡があったそうです。
母は今まで患った病名を伝えた後、あることを思い出したそうです。
その日の前日に、私は「描いた絵を車の天井に貼ってほしい」と言っていたそうです。
そのことを思い出して母は「救急車で運ばれることがりんたには分かっていてそれで昨日あんなことを言ったのではないか?」と思い泣きながら搬送先の病院に向かったそうです。
母が病院へ着くと付き添いの保育園の先生たちも泣いていたそうです(~_~;)
病院へ着いてしばらくして目を覚ました。
そして目が覚めて最初に行った言葉、、、「お腹空いた」。
散々みんなを心配させて最初の言葉がそれかよ!と自分で自分にツッコミを入れたいです(;´∀`)
付き添いしてくれた保育園の先生からおにぎりをもらい完食したそうですw
血液検査の結果はっきりしたことは分かりませんでしたがおそらく低血糖ということでした。
低血糖だけでここまでなるなんて、甘く見たらいけないということがわかりました。

当時のリハビリ

この頃のリハビリは歩行器(SRCウォーカー)で歩いたり、机に手を置いて支えられてもらいながら立ったり、字の練習をしたりしていました。
リハの先生は最初はとても優しそうな外国人の奥さんがおられる方でした。
次の先生はおじいちゃん先生で当時私はとても口が悪かったのでよく言い合いをしていましたww
もちろん人によって発言の仕方は考えていましたが、おじいちゃん先生にはとても心を許しているからこそ言えてましたw
次の先生は初の女性の先生でその先生にも心を許していてよくイタズラ?をしていましたw
(今現在もその女性の先生にリハしてもらっています!)

この頃から筒形の硬性コルセットをつけ始めたと思います。(側弯が進行し始めていたので。)

という感じの保育園時代でした!
色々ありましたがこの頃は何も知らずのんきに過ごしていたのでこの頃に戻りたいですw
でも今の方が好きなことはできているので楽しいです(´▽`*)

次回は小学校時代の話です!

今回の商品紹介:漫画

今回は当時連載していた、週刊少年サンデーの「金色のガッシュ!!」という漫画を紹介したいと思います!

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当時は読んでいなかったのですが最近漫画を読んでみるととても面白かったです!
アニメ化もされているのでそちらもオススメです!

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