小学校時代の話

今回は私が小学生の頃の話をしたいと思います!
小学校は近所の普通校に通っていました。
私は保育園の友達とは違う地域に住んでいたので、保育園の友達とは離れることになりましたT^T
当時、人見知りがあったので友達を1から作れるか少し不安でしたw
ですが親友と出会うことができたのでこの学校に入学してよかったなと思っています(*´꒳`*)
文章長くなると思いますが最後までお付き合いして頂けると嬉しいです!

目次


1⃣ 【小学校入学前の手続き、そして入学】
2⃣ 【家での移動手段】
3⃣ 【3、4年生 乗馬や漏斗胸手術の話】
4⃣ 【5、6年生 人間関係!持病発覚!卒業!】
5⃣ 【当時のリハビリ】

小学校入学前の手続き、そして入学

入学するためにはIQを調べてくるようにと言われました。
普段リハに行っていた病院でIQを調べてもらうことになりました。
いくつだったか覚えていないですが市役所からOKをもらえました。

(当時の写真です↑)

小学校では特別支援学級には入らず補助の先生を2人つけてもらい同級生がいる教室で一緒に授業を受けていました。(午前と午後で補助の先生交代)
学校のトイレは狭かったので廊下に小さな部屋を作ってもらい、ベットとポータブルトイレを置いてもらっていました。
エレベーターもない学校だったので階段は先生2人掛かりで車椅子を持ち上げてもらい移動していました。

小学校に入学した頃は上級生のお姉さんたちにとてもかわいがってもらっていました(*´▽`*)
(今ではそのお姉さんたちもご結婚されて子育て中!)

入学したばかりの頃はなかなか同級生に話しかけれず隣の席の子に手助けをお願い(〇〇取って欲しいなど)するのがやっとでした(;´∀`)
ちなみに補助の先生は少し離れた後ろにいたのでなかなか声を掛けれませんでした。
(おそらく同級生同士で仲良くなれるように気を使ってだと思います。)

そんなとき掃除の時間に補助の先生がおらず一人で掃除の邪魔にならないようにゆっくり車椅子で移動していたら、双子の女の子が「大丈夫?」と声を掛けてくれました。
初めて同級生から声を掛けてくれたのがとても嬉しかったのを今でも覚えています(´▽`*)

そこから少しずつ同級生と話せるようになりいつも手助けをしてくれる可愛い親友にも出会いました!
ありがたいことにクラスメイトみんなお願いをしたら手助けをしてくれていました!
本当にこのクラスでよかったなと思っています(。-`ω-)

補助の先生から卒業前に聞いたのですが、小学1、2年生の頃はテスト中にお腹が痛いと言ってテストをボイコット?wしていたそうですw(記憶にないですがww)

1年生~6年生まではピアノを習っていました。
発表会のとき1度だけ保育園の友達と会ったことがありましたが保育園の頃と違い大人びていてとても驚きましたw

この頃他に覚えているのは体育館で泣いたことです、、、w
2年生の時、学校でも歩行器のリハビリをしようという話になって病院で歩行器を貸してもらい体育の授業時間にするという話になりました。
普段使っている歩行器とは違ったことが原因なのか、力が入らなかったのが原因なのか、授業中一歩も進むことが出来ませんでした。
当時の担任の先生に「全く進んでないじゃない、今まで何をしてたの?」的なことを言われて悔しくて?辛くて?泣いてしまいました(~_~;)
クラスメイトは心配して声を掛けてくれたりしたのを覚えています。
(優しい同級生でよかった、、、)
後日担任の先生に呼び出されて話をしました。
学校で歩行器をしたのはそれが最後になりました。

今思うと失望されたと思って泣いたんだと思います。

家での移動手段

話は変わりますが、当時の家での移動手段を紹介したいと思います!
小学生まではコロコロという祖父手作りの椅子で家を移動していました。
家で車椅子は使っていませんでした。

(↑祖父手作りのコロコロ!)

足の力だけで移動できるのでとても快適でした!
家はバリアフリーではないので段差などは家族に椅子ごと抱えてもらって段差を移動していました。

ただデメリットもあります、、、。
まず1つ目は移動するにつれて体が前に前に移動するので体が落ちそうになります(;´∀`)
そういう場合は壁を背もたれにして体を後ろに移動させていました。

2つ目のデメリットは背もたれ、肘おき、ベルトがないことです。
よく椅子から落ちて頭からコケていました(ーー;)
口の中をよく切って血だらけになってました、、、w

3、4年生 乗馬や漏斗胸手術の話

3、4年生のときは、初めて自腹でゲーム機を買いました!
(DSLLを買いました(*´▽`*))
それから初めて親友を家に招いて遊んだのもこの頃だったと思います!
親友が家に着くまでドキドキで緊張していたのを覚えています( *´艸`)

乗馬もこの頃から習い始めました!

乗馬は車椅子の人や側弯がある人に筋力をつけるのにいいという噂を聞いたので習っていました。
1人では乗れないので乗馬を教えてくれる先生と一緒に馬に乗っていました。
基本的に8の字に歩いたり、丸の形にぐるぐる歩いてました。
見た目では簡単そうなんですが、実際に乗ってみると体がとても揺れてバランスをとるのが大変でした(;´∀`)
首がグラグラで安定できなかったので後ろに乗っている先生に首を支えてもらっていました。(首にクッションを巻いて前で止めてもらっていました。)
何回か走ってもらったこともありますが体が浮いて揺れがすごかったですw
それから1回だけ道路に出て散歩をしたことがあります。
普段体験しない高さで景色を見ながら風を体感できてとても気持ちよかったです!
通っていた乗馬施設には先生の飼い猫さんも一緒に来ていたのでとても癒しでした(*´▽`*)

4年生の時には漏斗胸の手術をしました。
漏斗胸の手術とは肋骨が変形して凹んでしまった胸を金属のバーを2本入れて持ち上げるという手術でした。
私は1歳前に心室中隔欠損症の手術をしてから肋骨が変形してしまいました。
左の胸は凸、右の胸は凹んでいました。
左右非対称の肋骨を治す漏斗胸なかなかないみたいでした。
術後右の胸の凹みはなくなり左の胸の凸もマシになりました。
が、また漏斗胸の手術することになります(´-ω-`)
(その話は中学生編で、、、!)

5、6年生 人間関係!持病発覚!卒業!

5年生の頃は人間関係に悩んでいました(;´∀`)
親友と転校生の友達がバチバチしていて「どっちの言うことを信じてくれるの!」と言われたりして間に挟まれて胃を痛めたりしていましたw
他にも1人の先生が他の先生の愚痴を言っていてそれを聞かされたり(~_~;)
今は笑い話にできますが当時は大変でしたw

この頃にずっとわからなかった持病(SMA)も発覚しました!
筋電図と遺伝子検査でわかりました。
診断されたときは、持病がわかったという安心感と驚きがありました。
持病がわかるまでの10年間、病気がわからずに生きてきたので突然病名が発覚し動揺もありました(´-ω-`)

6年生の時は側弯が悪化しており命の危険がありました、、、。
詳しくはこちらをご覧ください↓

1番体調が悪かった時の話1(入院前の出来事)
今回は私が1番体調が悪かった時のお話をしたいと思います。 私が1番体調が悪かったのは小学6年生の時です。 それまでは手術...

体調が悪くなる前、まだ体力に余裕があるときに新入生歓迎の言葉を在校生代表として友達と発表したことがあります(。-`ω-)
小学生時代は前に出て発表などしたくなくて避けていましたが、そのときは「最高学年になったし変わらないと」と思い立候補したりしてましたw

その後徐々に体調が悪くなっていき長期入院して手術をしました。
入院期間中何度も市役所や県庁から電話が掛かってきていたそうです。
その理由は進学する学校、中学校が決まっていなかったからです。
「どうするんですか、進学しないんですか」と命が危ないときに何度も電話を掛けて来ていたそうです。
普通の中学校と支援学校の中学部で悩んでいましたが体調面を考えて、支援学校に進学することに決めました。
その後も「本当に通えるんですか」という連絡が来ていたそうです。

色々あって小学校を卒業し、支援学校の中学部に入学するために県庁に面接を受けに行きました。
県庁の偉い方が本当に通えるのか確かめるための面接だったそうです。

無事に許可が下りて支援学校の中学部に入学することになるんですが、地獄の始まりでしたw

当時のリハビリ

小学生の頃は装具をつけて立つ練習をしていました!

(病院で立つ練習中↑)

この頃はまだ関節を伸ばすことが出来ていたので立つ練習が出来ていましたが、今は関節が固くなっているのでできないです(ノД`)・゜・。

こんな感じで以上!小学校時代の話でした!
最後まで読んでくださりありがとうございました(*´▽`*)

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